絵本の長い前置き

 思えば、わたしの記憶にある、初めて母が入院したのは、妹を産んだときだった。わたしはもうすぐ4才で、父を真ん中にしてふたつ上の姉と川の字に布団を並べ、母のいない夜を迎えた。

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 その夜、わたしはよく眠れずに、父のいびきを聞きながら、暗い中、金色の線でよく分からない細かな模様が描かれた天井を見上げていた。ふと、視線を感じた気がして、わたしの布団に近い西側のカーテンの方をみると、窓の外から、魔女のような誰かがカーテンをちょっとだけめくり、こちらを覗き込んでいる。その口元は笑っていた。慌ててとなりに寝ていた父を揺り起こし、電気をつけてもらった。いま、誰かが窓の辺りにいたことを父に説明しながら、おそるおそる見た窓は閉まっていて、いつものカーテンがしっかりと垂れ下がっている。電気をつけて確認したし、父も眠そうだし、姉は (不確かだが) 寝ていて起きなかったし、問題はない。それでも怖かったが、もう何も言えない。父は電気を消し、わたしはもう窓の方を見ないように布団に潜り、いつのまにか眠っていた。

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 あれは夢だろう。わたしはその部屋のカーテンの暗い色合いと葉っぱの模様がきらいだったのと、母のいない夜という、いつもとちがう条件が加わり、不気味な魔女を見たのだろう。魔女だと思ったのは、その部屋が二階だったことと、黒いガウンのようなかぶり物からのぞく長い鼻と、カーテンをつまむ細い指の仕草、といった "魔女のテンプレ" らしきものがいくつか揃っていたからだろう。語尾が "だろう" ばかり続くのは、はっきりと否定できないからだ。わたしは偶然にも "その人" を見たのかもしれない。

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 『いもうとのにゅういん』という絵本がある。自分の本意ではない状況のなかで、子どもが自分だけではない他者への視点を持つ、その過程とこころの動きを "ひと晩の中" で描いている名作だと思う。この本を絵本のカテゴリーで紹介しようと考えていたら、自分の思い出がよみがえり、前置きが長くなりすぎてしまったので、こちらに書くことにした。

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 妹は元気に産まれ、わたしは姉になった。病院に父と行くと、しわくちゃな顔の赤ん坊がいて、それが妹だという実感はわかなかった。ただ、赤ん坊は自分よりずっと小さくてたよりないものだった。わたしは妹より大きく、魔女かもしれないものを見た夜をこえて、その場にいた。今でも、わたしはこのひと晩の思い出を、けっこう大切に記憶している。

(再掲)