ひとつの卒業

 会社から駐車場まで歩く道のりに、桜の木があることに気が付いたのは、見覚えのある蕾が少しずつふくらんできていたからだ。その蕾も、今日は湿った雪を頭に抱えて、重そうに見えた。春はまだ遠い。

 春は別れの季節でもある。子どもが通っている支援センターで、これまで親子ともに頼りにしてきた先生のうち、お二方とお別れすることが分かった。ひとりの先生は定年退職され、もうひとりの方は別の場所へ異動になったと聞いた。本来なら終業式のあとで知ることを、少し早く教えてくれたのは、その場所は学校ではないからだと思う。すぐそこまで来ている春が、寂しくて仕方なかった。

 誰に頼ればいいか分からないまま訪ねたその場所で、わたしたち親子は、思いがけない温かさで迎えてもらった。そこで穏やかに過ごすことで、子どもは新しい居場所を持つことができたし、安心したわたしは新しい仕事を見付けて、また働き始めることができた。ただただ、感謝しかない。
 卒業までここで過ごして、先生方に見送っていただけるのだとばかり思っていた。立場が変わったことに戸惑ったが、わたしにできることは、感謝を伝えて見送ることだ。
 子どもは一度泣いたけれど、先生たちに渡すカードを手作りして、絵やメッセージを書いて手渡した。その後は、今度はどんな先生が来るか楽しみでもある、と言っていたので、前向きに考えられるようになった子の成長に少し驚いた。

 まだ一年も経たない間に、子どもはきっと中学時代の恩師と呼べるような先生と出会えたのだな、と思う。わたし自身も、親として自信をなくした状態で出会った時から、ずいぶんと元気を取り戻した。先生方に励まされ、何が子どもにとって大事かを再認識したことで、今の自分たちを認められるようになった。

 先生方に会う最後の日、わたしは新しい職場で作っているものと短い手紙を渡し、あとは感謝を伝えた。
 ここまで回復できたのは、この場所で、先生方に出会えたからだと思います。本当にありがとうございました。
 わたしには、ひとつの卒業を迎えた気持ちだった。

 数日後に雪は溶けて、通勤路の桜の蕾は頭が軽くなったように風に揺れるだろう。春が来たら、外でお花見くらいはしたい。そして来年の春には、清々しい気持ちで卒業を迎えたい…。まだ冷たさの残る風に吹かれながら、春を待ちわびる日々は、寂しいだけではなくなった。


追記、セブンに寄ったら、レジ横にウクライナへの寄付箱があったので、百円玉を入れた。ウクライナに全く関係なさそうなレジの店員さんが「ありがとうございます」と言い、世界はそんなに悪くないかもと思った。英語勉強に関心のある子どもの誕プレに、「glee」シーズン1のブルーレイをあげた。未来への前向きな想像や憧れは大切だなと改めて思う最近。桜はまだ。