旅に出たいんだ

 子どもの誕生日には旅へ出る。

 この企画をはじめて何年だろう。子どもが自分の身の回りのことをある程度できるようになってからだから、三年くらいか。毎年、子どもが "心友" という妹が、予定を合わせて一緒に来てくれる。旅費はもちろんわたし持ち。なので、企画を立てるときはかなり真剣になる。色節…晴れがましい行事を意味する言葉。わたしにとって、"子どものために考える旅" は、その言葉だったのかと知る。

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 ディズニーシー、浅草・上野動物園と旅してきたが、今年は新型ウイルスの流行をかんがみて、住んでいる県内にある行ったことのなかった温泉地にした。


「ハワイに行きたい」

 えらそうに言う子どもは、空想で言っているわけではない。妹がハワイで結婚式をあげたので、参列した子は既に行ったことがあるのだ。パスポートを手に国際線の飛行機に乗り、外国のホテルに泊まり、イルカに会い、クルーズ船に乗り…まあまあの贅沢を知った。

「この時期に動ける範囲は限りがあるけど、それでも行けるところを見付けたんだから、楽しもうよ」

 妹も近場ということでテンションはあまり高くない。わたしは劣勢だったが、住めば都、ではないけれど、行けば結構楽しい、ということは多いものだと思う。…そう思いたかった。


 ホテルに着くと、歴史ある温泉らしき佇まいで安心感があり、接客も温かくホッとした。荷物を置いて、近くをぶらぶらと散策する。お寺でおみくじを引き御守りを買ったり、国宝である木造の八角塔を観たり、途中で足湯に浸かったり、土産物屋を覗いたり。旅という、自分を誰も知らない土地に行くことは、普段は引き締めることの多い心を、開放してくれるような気がする。いつもより笑顔の多い子どもを見て、わたしもうれしくなった。

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 早目に宿に戻り、夕食前に温泉に向かうと、貸切状態だった。こういうときはゆっくり何度も浸かりたいのだけど、すぐにゆだってしまうわたしは、あまり長く入っていられない。露天風呂は冷たい空気が気持ち良く、いいお湯だった。

 ほぼ地元だから珍しいものはあまりないけれど、旅先の夕食はやはり楽しい。お品書きを見ながら食べる料理は、手が込んでいて美味しかった。妹と一杯やるのも、こんな時くらいだろう。

 子どもは違うメニューだったけれど、もう大人と同じ量を食べるようになった。妹がスマホで撮った写真をすぐ送信してくれる。宿から誕生日のサプライズで、小さな花束をもらい照れる表情。写真には、まだ幼さを残している子どもが写っていた。

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 春から中学生になった子は、通う中学にまだ馴染めないでいる。励まして送り出して行ける日もあれば、ときに学校を休む日もあった。子どもが学校に行きたくない理由が明確に分かったときは、わたしが学校へ出向き、先生を交えて、ある生徒とその親御さんと話し合いをさせてもらう日もあった。

 子どもの顔から笑顔が減った。ため息が増え、体重も少し落ちた姿を見て、もう行かなくてもいいよ、という言葉を口にするか迷う日もある。漠然としたことを書くけれど、今まで守れていると思っていた、子どものこころのやわらかい部分が、目の前で呆気なく、とつぜん現れた何者かによって影響を受け (それは本人の成長による自意識も関係あるかもしれないが…)、 崩れていってしまったことは、わたしにもショックだった。悲しいのもあったけれど、何よりも悔しかった。

 励ますのにも限界はあるし、わたしも親として想像していなかった子どもの試練にどう対応したら良いのか考え過ぎて、少し疲れてしまった。でも、結論を出すにはまだ早いんじゃないかと、学校と子どもの様子を見守る日々が続いている。支援的な中間教室に通うことにした子。崩れたのならば、また新たに積み直せるじゃないかと、その力が戻るのを信じるわたし。わたしたちは違うのだということを前提に、期待し過ぎないことを、待つことを、のんきでいることを、いつも通りの猫を見て学ぶ。

 誕生日にはまだ早いけれど、そろそろ旅を企画しようと思い付く。日常を続けるためには、非日常が必要なのかもしれない。誰も知っているひとがいない場所ならば、子どもはまた無邪気に笑うだろうか。どこへ行こう。そう考えると気分が明るくなる。たぶん、わたしもいま、旅に出たいんだ。


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(再掲)

追記というか長い長い後編…(2021/5/3 書き直しました)

 こんな風にまとめておきながら、この頃を過ぎると、わたしは全然のんきでは無くなった。今年に入って、子育てを支えてきてくれた両親とともに、不登校について学んだ。図書館にある本をいくつか読んだり、インターネットで調べたりすると、その理由や過程にかなり個人差はあるものの、「本人が望んでいないときに、学校へ行かせようとしないこと」が、良いこととして共通していると思った。まずはそれを実行した (納得するまでは時間が掛かった…)。行かなくてもいい、と家族が認めると、子どもは家の中でゆっくりと元気を取り戻していった。ただ、学校へ行くということには、また違う課題が隠れていることを知る。(詳細は伏せます)

 余談だが、不登校について調べていると、「そういう子は、ぜひこの塾に入りましょう」的なものから、「このマニュアル本を買って読み、実行すれば良くなる」的なものがあり、これを商売にする大人がいることも知る。学生時代に、メディアリテラシーを教わったことがあるので、それらに惑わされないのは良かったが、怒りを覚えた。目にした情報が本当に正しいのか、大事なことは自分で調べて確認すること。それには、不登校を支援するフリースクールNPO法人などが一つもないこの田舎では、かなり不利だと思い、落胆した。

 わたしは、学校以外に頼れる子どもの居場所がほしかった。ふと、以前学校で教えてもらい、自宅から通うには遠いからと行かなかった、学校外に設けられた小さな支援教室を思い出し、行ってみることにする。その頃、子どもは自動的に進級して二年生になっていた。

 事前に相談の予約をして行くと、施設長の教師が対応してくれた。この一年で子どもに起きた学校での出来事。学校の教師やスクールカウンセラーに相談してきたこと。それでもうまくいかなくて、元気は出てきたがまだ課題はあり、親として悩んでいること。その方はメモを取りながら、静かに話を聞いてくれた。それから、ゆっくりと話してくれたのは、この場所で見てきた子どもたちの、様々な姿と、それぞれの進路の形があるということ。わたしが衝撃を受けたのは、以下の二点だった。

不登校を良かったことにしないといけない。でないと、何かに失敗したときに、そのせいにしてしまうかもしれない」

「中学は出席しなくても卒業できます。でも、高校は出席できなければ退学になるので、その子が継続できる道を選ぶことが大事です」

 いつのまにか出来上がっていた固定観念を、吹っ飛ばされるような解放感があった。あ…そういう話が聞きたかったんです、と安心したら少し涙腺がゆるんだ。この教師の話を信頼したいと思った。

 不登校を良かったことにするには、どうしたらいいんだろう。いま、家族みんなで模索している。先はまだよく見えないけれど、子どもが笑うと、わたしはうれしい。焦ったり迷うとき、そのシンプルな喜びを、忘れないようにしたい。

終わり


(感謝の追記) 学校の授業の進み具合をプリントなどで確認して、マイペースに自己学習している子どもにとって、YouTubeの「とある男が授業をしてみた」という動画チャンネルが頼りになっているようだ。膨大な授業の数々…作ってくださった方の熱意を感じる。本当にありがとうございます。


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(写真⏩上野動物園にて)