中庭で写真を

 子どもたちが校庭に出てくるのを待つ間、集うママ友の特にいないわたしは、ひとり校舎の中庭をぶらぶらと散歩していた。小さな池に、鯉だか金魚だか分からない中途半端な大きさの魚が泳いでいた。二宮金次郎は雪のかぶった日も本を開いており、日当たりがよいところで梅が咲いている。ここで写真を撮ろうと決めた。卒業式だった。親は式に参加できなかったけれど、中学へと進む前に、子どもたちが揃って顔を合わせる一日を、先生方が設けてくださったことに、静かに感謝していた。

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 在校生の子どもたちがぞろぞろと出てきたので場所を移動して待つ。目の前を元気に走っていく子の背丈の小ささが可愛らしい。今はわたしとほぼ同じ背丈になり、足の大きさは越されたうちの子だが、これくらいの頃はいろいろあったなぁと思う。

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 一年生になった当初は、子どもの下校時間が早い。行きは集団登校で上級生に連れて行ってもらうのだが、帰りは一年生だけになるので、わたしたち親は帰路の途中で子どもと待ち合わせ、一緒に歩いて通学路を覚えた。わたしが仕事の日は母にお願いして、その時間には待ってもらうよう頼んだ。一年生の子どもの足で歩いて、学校から50分くらい掛かっていたと思う。それでもランドセルを一人前に背負い、毎日歩いていた。

 小学校生活のはじまりは、まず順調と思っていたわたしに、軽い落雷が落ちる。母が待ち合わせの時間に少し遅れたその間に、子どもがいなくなったというのだ。幸いすぐ見付かったので、仕事が終わり帰宅してから事後報告を聞いた。

 待ち合わせ場所に誰もいない。子どもは慌てて家に向かったが、そこには車がなく、鍵が掛かっている。まだ合鍵も持たせていなかった。仕方なく、同じ登校班の、近所の小学生のいる家に行き、そこで待たせてもらっていたそうだ。一方、母は車で通学路をぐるぐると回り、必死に探していたが見付からず、自宅に帰ったが誰もいない。不安のピークだっただろう。しかし、しばらくして、子どもは自分で歩いて家に帰ってきた。母の車が戻ったのを確認した近所の方が、子どもに教えてくれたという……。

 わたしはこれを聞き、とにかく無事で良かったと安心するとともに、一日に起きた出来事の濃さにくらくらした。憔悴した母には、待ち合わせ場所には早めに行ってもらうよう、時間に気を付けてほしいとお願いした。子どもには鍵を持たせることにして、わたしや母の携帯番号を書いたメモと、電話を借りるための小銭を少しだけ持たせることにした。

 それから、子どもは学校から帰れなくなった。職場に学校から電話が掛かってきて、困った声の先生が「お祖母ちゃんが、またいないかもしれないと言うんです」と代弁する。母の方がパニックになっていたと思っていたが、子どもは子どもでとても不安だったのだと、今さら気が付いた。まぁ順調だと思っていたわたしは、ああぁ~(甘くみてた) と思いながら、当時の職場の上司に相談した。事情を話し、しばらく子どもの下校時間に間に合うよう退社させてもらうことをお願いし、受け入れてもらえた。わたしが待ち合わせ場所に立っていると、子どもは歩いて来れる。小学校という六年間のはじまりでつまずいた子にできることは、わたしが待ち合わせ場所に立っていることだった。

 どれくらいの期間だったか、忘れてしまったけれど、子どもは友だちと帰れるようになった。そして "道草" という楽しみを覚える。仕事が休みの日、帰りが遅いなと通学路をさかのぼって迎えに行くと、脇の道で朝顔の種を摘んでいて見付からなかったり。知らない番号から電話があって出てみると、浅い用水路に落ちた子を見付けて助けてくださった方からで、慌てて迎えに行ったり(そのあと菓子折を届けた)。こちらがひやひやすることもあった。

 大人がたいしたことないと思っていることが、その子にとっては大きなことだったり、その逆もまたあって。子どもはわたしとは違う人間なのだな、という当たり前のことを、反芻するような日々だった。

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 卒業生が校庭に揃うと、先生が拡声器で「これから歌をうたいますので、みなさんこちら側に移動してください」という。拡声器を通すと緊急感があるなと思う。今日はじめて制服を着た子が、荷物を預けに来る。持ち帰る荷物もあり、ずっしりと重い。ここで歌をうたうなんて知らなかったので、親たちにサプライズってやつだろう。校舎の側にはほかの先生方も出てきて並んでいた。

 校庭でアカペラでうたう歌は、伴奏もなく体育館のようには響かないな、と思って聴いていたが、斉唱だった合唱が二部に分かれたところで、急に涙がじわじわ溢れてきた。ハンカチを静かに取り出して拭うけれど、マスクの下では鼻がたれてくる。周囲からも鼻をすする音が聞こえる。みんな大きくなった。その成長した姿に着なれない制服があいまって、やはり今日しか見れない姿だった。うたい終わった子どもたちに拍手をおくりながら、人前でこんなに泣いたのはいつぶりだろう、と少し気恥ずかしくなる。

 「ご卒業おめでとう」と書かれた看板の前に並ぶ、長い列のうしろを通り過ぎる。ここには、やはり誰もいなかった。明るい別れの場に、ふさわしい気がする。さあ、中庭で写真を。