2019-01-01から1年間の記事一覧

短編 「共有ファイル」

冬の暮れ。遠い親戚の不幸のため喪中のぼくは、特にすることもなく、ひとり炬燵に入りながら、ブルーベリー風味の紅茶を飲み、部屋から窓の外を見ていた。雪が舞いそうな、湿って重たそうな雲が空を埋め尽くしていた。既に、山肌には白く筋が通り、もし麓に…

買わなかった話

文章に香水の名前だけの描写が出てくると、困ったなと思う。わたしはそれに詳しくないので、その香り自体の描写がないと、どう解釈していいか分からない。香水をつけるひとなんだ、で終わってしまう。単語って扱いが難しい。 洗剤を選ぶとき、あまり香りの…

読書と体力

「断片的なものの社会学」を読んだ。なにかを書こうとするのなら、いま読めて良かった。熱いうちに文字を打てない方だけれど、読みながらメモしていったことなどを、とりとめもなく書き残しておく。ただ、自分のために。冷めてから訂正することもあるだろう…

それを想像力と呼ぶんだぜ

まあ、タイトルは勢いなんだけれど、そのように思うことがあった。 夜、子どもの様子が変だったので、何かあったのか布団に入ったところで聞いた。泣きはじめた子、慌てて挙動不審になるわたし。話したがらない子。思い付くだけの最近の記憶をたどる。あの…

クリスマスの前に

⚠この記事はR-12程度の内容を含んでいるような気がします。自称それくらいの年齢の方はページを閉じてください。ーーーーーーーーーーーー ネット通販というものをほとんどしない。ずっと現金派だったが、最近クレジットカードを持った。これだけキャッシュ…

短編「ゲンコーハン」(7)友のしるし

曲名も知らないピアノ演奏を聴きながら泣く僕は、なぜ泣いているのか全く見当も付かなかった。ただ、心を硬く幾重にもコーティングしてきたはずなのに、その微かな隙間から何か柔らかなものが侵入してきて、それがあまりに温かく、冷えていた心が徐々に汗ば…

映画 「セッション」

久々に映画の話を。この映画はとても良い映画だと思うんですが、パワハラなどの被害にあったことのある方にはおすすめできません。まずは、予告編をどうぞ。https://youtu.be/mZjUEIV2Ru4 予告編を観て、こういう人が出てくるのムリ、と思ったあなた、かな…

短編「ゲンコーハン」 (6) 虎児を得る

あの日、電話が鳴らなければ良かったと思ったけど、鳴ったから僕は動いた。電話が鳴らなかったら、おそらくいつまでも後悔したままだっただろう。 沖田から「大事な話がある」と新年早々呼び出されて、年始休み中の喫茶店に行くと、そこには相沢さんがいて…

短編「ゲンコーハン」 (5) 能天気と修羅場

きみも僕も知らないひとも、空から見たら「すぐに消えて無くなる物」だと分かっていたら、僕はもっときみを丁寧に扱えたのかもしれない。「あ、その服新しい?」「大学前の古着屋で買った」「へぇー…誰かと行ったの?」「きみの知らない子」「え? 誰」「誰…

短編「ゲンコーハン」 (4) バトンタッチ

卒業式の三日前、母親が亡くなった。担任から朝の連絡事項の一つとして告げられ、通夜の時間を聞き出したと言って、少し苛立ちながら沖田がやってきた。「なんで喪服なんて持ってんの?」 僕の第一声に沖田は呆れた顔をした。「お前なー…ちゃんと拝ませても…

短編「ゲンコーハン」 (3) 沖田とアイちゃん

「沖田、この子?」 相沢が容赦なく竹内を指差すと、あいつの肩がビクッと反射した。俺のベッドに座って、この部屋の主のようにしているが、こいつは彼女ではない。この団地の中での幼なじみであり、中学から彼氏を絶やさない恋愛体質の相沢が、ちょうど彼氏…

短編「ゲンコーハン」 (2) 竹内

はじめて会った日、俺はあいつのボロい自転車を盗もうとしていた。現行犯で見つけたあいつは、怒らないどころか俺をアホだと笑った。変わったヤツだと思ったのが第一印象。なぜか一緒に帰る道すがら、いつの間にか昇った月を見ながら、母親が入院していてほ…

短編「ゲンコーハン」 (1) 月

坂を登ったら、何か美しい眺めが見えたり、このくしゃくしゃな心がすっきりするような、そんな救いを信じていたんだ。だから僕は、ぴりぴりと肌をつつくような冬の風の中、こうして自転車をこいで知らない坂を登っている。そんな夢をよく見ては、汗をかいて…