買わなかった話

 文章に香水の名前だけの描写が出てくると、困ったなと思う。わたしはそれに詳しくないので、その香り自体の描写がないと、どう解釈していいか分からない。香水をつけるひとなんだ、で終わってしまう。単語って扱いが難しい。

 洗剤を選ぶとき、あまり香りのきつくないものを選ぶ。柔軟剤は使わない。なぜか嗅覚だけ年々敏感になり、においに酔ってしまうようになった。スーパーで洗濯洗剤の売り場を歩けば、香りを楽しむ商品がずらりと並んでいるから、きっと使う人が多いのだろう。
 新聞に、広告賞の受賞作が掲載されていたのを目にした。その中で印象に残ったのが「香害」というコピーで作られたものだ。「良い香り」と宣伝されているものを、不快に感じてしまうのはわたしだけではないんだな、と安心したのを覚えている。


 話は変わる。ひとの身体から排泄されたもの(便、尿)、嘔吐したもの(ゲロ)なんかを、におうと思うひとは多いと思うが(わたしも思う)、それを相手に指摘するのはちがうだろ、とも思う。伝える側のデリカシーが問われるんじゃないだろうか。というのも、子どもに柔軟剤をねだられ、なんでほしいのか聞いて、思ったことなんだけど。

 トイレに行って教室に戻ったとき、なんかくさい、と言われて気になるんだという子。それも思春期ならではの悩みだろうし、想像も理解もできるが、言う側の配慮の無さにまず気がついてほしいと思う。だから、あまり気にしないでほしいと話した。そのあとひとりで考えていたのは、生きてたら当たり前のにおいが、清潔にすることとは別の、香りで消されていくことの「エチケット」と「配慮」の違いとかを。

 言われて気になるのは分かるし、いまは柔軟剤みたいな香りをまとう子も増えているという。わたしが子どものころも、においにまつわるからかい方は、嫌な笑い半分、いじり半分、という感じで存在していた。かくいうわたしも、中高生にもなれば、制汗スプレーを使い、汗をかいたらシートで拭くなどしていた。たしかに、汗をずっと放っておいたらにおうけど、それもまたいい、というひともいるはずだ(漫画「あせとせっけん」は良いぞ…)。わたしはそのままのにおいがいやではないひとが、ともに生活できるひとだと思っている節もあるし、うちの子も猫も、個人的にいいにおいがする(脱線)。


 猫を飼うときに子に教えたのは、食事の用意の仕方と、トイレ掃除のやり方だった。トイレ掃除は、くさいし面倒だけど、これは猫の健康チェックだから、できるだけきみにやってほしいと伝えた。便や尿に普段と変わった様子はないか、定期的にしているか。これは、まだ発語できない赤ちゃんのオムツを変えるときとよく似ている。猫は話せないから、トイレ掃除をしながら健康の様子を見るんだよ、と。いまも面倒そうにするときは繰り返し伝えて……たまに怒ってしまうこともある。

 どんどん脱線してしまった。子どもは軽い風邪で昼寝している。猫はいつも通り、外を眺めたり、こたつでいびきをかいて寝ている。そろそろコーヒーでも入れて飲もう。タイトルに戻る。結局その日、柔軟剤は買わなかったんだ。