アズカバンの囚人にも友人がいる

 ここ二年ほど、新型ウイルス流行の影響もあり、近くにいる家族や親類以外に、誰かと会って話すことを控えていた。それが限界に来て、友人と会った。うちの子とも、何度か会ったことがある。今回は子どもに留守番を頼み、出掛けた。久々に、自分だけの時間を過ごしている気がする。

 お互いそれほどマメでないため間が空きすぎて、少しの緊張はあったけれど、会ってみると、二年会っていない、という違和感は不思議と感じなかった。それよりも、部屋の窓を開けて換気をし、マスクをしながら話す、わたしたちを取り巻く世界の状況が変わっただけのような気がした。

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 友人とは、以前ほかの仕事をしているときに同僚として出会った。同じ高校の卒業生で先輩だと、後から知って驚いた。彼女はある種のクリエイターで、創作の関心や興味の方向も違うので、話していると別の景色を覗かせてくれる。お互いの近況を話したり、聞いたりしながら、わたしは思わず口にしていた。

「子どもからある程度手が離れて、猫をいつか見送って、もう一回くらい恋愛したら、出家したい。それか、教会のシスターになりたい」

「それ……宗教なんでも良くなってない?」

 結構はっきりと思ったことを言ってくれる人なので、わたしも素直に、それな、と思った。

新興宗教は絶対無いけど。仏教かキリスト教ならアリかもしれないなーと思って」

「ほんとに出家したいの? 出家しても恋愛できると思うけど」

「え、そうだっけ?」

「ほら、お坊さんも奥さんいるじゃん」

「そっか、でもわたし坊主似合わなそうだな…」

 わたしは、煩悩のかたまりだと気付く。おそらく、真剣に覚悟を決めて頼めば、出家に繋がる方法を教えてくれると思う。友人の実家は、どこの宗派かはよく知らないが、お寺だった。

「ねぇ、なんか書きなよ。楽しい妄想しな」

 彼女はとくに詮索をしないが、わたしが細々と何かを書き続けていることを知っている。最近ハリーポッターを改めて読んでいる子どもにも、「母ちゃんも書けば?」と軽く言われた。その映画が流行っていたころに、わたしがJ・K・ローリング氏の経歴について話したことを覚えていたのだろう。

 想像力を広げる精神的自由さと、それを文字に起こして練り上げていく粘り強さと体力、それらが今不自由になっていることに気が付く。目の前にある現実の事象に、囚われすぎている。アズカバンの囚人だって監獄から逃れたというのに。

 何かに束縛されていたひとが自由な社会に出ることを、娑婆に出る、と表現することがある。その娑婆は、煩悩から脱することのできない人の居るところ、と仏語では言うようだ。自由な社会と監獄、現実に付きまとう煩悩。思考回路に光がほしい。

 エクスペクト・パトローナム。口にしたくなる魔法の呪文を、あの魔法の世界を、現実を生きながら創造したローリング氏を尊敬する。

 お互いにままならないことを話したり、友人のオススメするYouTubeや過去の海外旅行の話を聞いていたら、四時間がまばたきするくらいの速さで飛んでいった。子どもは「ゆっくりしてきなよ」 (昔から大人のような発言をする時がある) と言っていたけれど、一時間くらいで帰ると思うと伝えてあり、これはヤバイと挨拶もそこそこに慌てて家を出る。

 帰宅すると、ちょうど夕飯を作り終えた子がキッチンに立っていた。遅くなったことを詫びると、事故とかあったんじゃないかと思って心配した、といって少し泣いた。ゆっくりしてくるにも程がある。悪いことをしてしまった……。反省し、対策を考える。子どもには年齢的に考えスマホを持たせていないので、今後、外出の時間が大幅に過ぎるときは、パソコンを通してなど、必ず連絡を入れることを約束した。

 友人には、長居した御礼や、話せて嬉しかったことをメールすると、返信がきた。

「もっとアホなこと考えて気楽になって」

 出家したいなどと、今は覚悟もないくせに口にして、現実から抜け出したくてたまらない時もあるけれど、子どもを泣かせてしまえば、冷や水を浴びたように現実に戻るわたしがいる。子どもと猫の生きる娑婆であるこの世の中を、わたしはまだ愛したくて、時々ツラい。

 それが中途半端な言葉となって飛び出すが、否定しないで聞いてくれた友人は、ものすごくこころが広いと思う。しかし互いにひとりの人間同士、助け合うのはいいが、甘えてばかりはいられない。彼女が困ったとき、話を聞ける余裕を持てるようになろう、そう思わせてくれた。

 それからも友人は、うちの子の様子を心配して何度か連絡をくれた。教育関連の相談できる場所や、もしもの時は知り合いの弁護士を紹介するなど、メールに記されていた。友人のネットワークの強さに、なんだか笑ってしまった。

 真剣に出家したいと頼めば、繋げてくれそうな友人がいる。それだけで、かなり救いになる。そんな友人と偶然出会い、同じ時代を生きているわたしは、ハリーポッターなみに恵まれているのでは? と思うのだった。