Pretend to be my sister

 これはグーグル翻訳で「姉の振りをする」で出てきた英訳だが、はたして合っているのだろうか。髭男の曲名で調べたひとも多いだろうから、pretend はものすごい市民権を日本で獲たのだろうと思う。どうしても前置きが入るな、わたしの文章は。これはイントロなのかなぁ、雑音か。

 妹には姉らしくしたい、という妙な「姉人格」みたいなものがある。また、わたしは姉がいて妹でもあるので、たまには甘えたいとも思うが、姉は天然にボケているので、妹の出番は少ない。たまに会う従兄弟も年下が多いのだが、彼らに対してもなぜか姉人格が出てしまう。例えば、仕事が忙しくないか話を聞いたり、忙しければ身体を大事にしてと伝え、自分のことを聞かれれば「まあボチボチやってる」などとごまかしている。

 妹が結婚するとき、わたしは海外での挙式に猫と共に参加できなかった (子どもは祖父母と行った)。余談だが、うちの猫は、動物愛護センターの譲渡会に子どもと行き、生後4ヶ月のときに引き取った。とてもやさしくて可愛い猫なのだが、少しの物音にも反応するほど敏感で、わたしや子ども (またはほかの家族) がいないと他人に気をゆるさない臆病さがある。何日もペットホテルに預けたり、ひとりで留守番させるのは想像できなかった。猫に甘すぎるのかもしれない。

 それを詫びることと、お祝いを渡すため、妹とその婚約者と一席もうけることとなった。母が運転してくれることになり、会食の店に着くと、妹の婚約者と腹を割って話そうとばかりに赤ワインをデキャンタで頼む。お祝いを渡しに来たのだし、今夜はわたしが払うからと言いながら、呑まないとわたしが緊張してしまうのだ。しかし、妹も相手も今日は呑まないという。わたしはひたすら呑むしかなかった。

 妹が婚約者を、三代目J Soul なんたらの誰々に似てるなどと言っていたが、惚れているひとにしか見えない風景があることを思った。かくいう妹は、満開のなんらかの花でも背負って、彼の瞳に映っているのだろう。妹のことをお願いして、お祝いを渡したら気が抜けて、だいぶ酔いがまわってきた。お勘定を済ませ、妹たちに挨拶をしてわかれ、車に乗ったまでは良かった。

 アパートの駐車場が砂利で良かったのかは、よく分からない。車で三十分ほど揺られている間に、わたしの体内では完璧にアルコールがまわってしまった。世界が回っていると、気持ちが悪い。横になっていた座席から起き上がり、車から降りて歩き出し、前のめりに転んだ。右の顔面と両手の平で砂利を受け止め、痛かったものの、骨折も打ったところもないのが、ザ・酔っぱらいの転び方だなと思った。酔って転んだのは初めてだけど。顔面が石で傷ついていたらしく、駆け寄ってきた母が小さく叫んだ。さっきまで楽しかったのに、という顔の子どもも心配している。わたしは情けなかった。ものすごく情けなくなると、なぜか口からは「大丈夫、大丈夫」という呑気な声が出る。そんなに大丈夫ではなかったが、必死にこの暗い空気のバランスを取ろうとしている。母が介抱してくれ、傷を消毒してくれる。このときにはもう眠たくて、痛みはあまり感じなかった。翌日、腫れた顔の痛みと二日酔いで苦しんだが、母と子どもに掛けた多大な迷惑を思うと、当然の報いに思えた。傷は少しずつ癒えたが、右の目の下に小さな傷痕がのこった。しかしそれも、妹が結婚するという喜びの記憶と結び付いているので、すこし愛着がある。

 妹は昔からスキンシップの多い子で、わたしにも抱き付いたりしたがった。対するわたしは、ベタベタしたスキンシップが苦手だったので、抱き付いてくる妹から逃げ出していた。振り返ると、愛情表現の好みはともかく、その気持ちはちゃんと受け取ってあげればよかったと思う。子どもとのスキンシップに慣れたおかげか、今ではハグくらいでは動揺しなくなったのに、わたしが嫌がる方がどうやら楽しいらしい……。いや、そうじゃないだろう。わたしの子とは、きょうだいかと思うくらい仲が良く、小学校の運動会には毎回応援に来てくれた。感謝しかない。

 今年の誕生日にはLINEがきて、それがふざけてて笑った。頼りない姉ではあるけれど、嫌われてはいないらしいことをうれしく思う。そう、深刻になりすぎるより、ふざけてるくらいがちょうど良い。妹はわたしの扱いに長けている。

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おわり