それを想像力と呼ぶんだぜ

 まあ、タイトルは勢いなんだけれど、そのように思うことがあった。


 夜、子どもの様子が変だったので、何かあったのか布団に入ったところで聞いた。泣きはじめた子、慌てて挙動不審になるわたし。話したがらない子。思い付くだけの最近の記憶をたどる。あのこと? と聞いても違うと首を振る。降参した。言ってくれないと分からないこともあるし、泣かれるとこっちも不安になっちゃうんだと。肝っ玉ってどこにあるんだか今も分からない。


 ポツポツと話し出してくれたのは、学校であった性教育の話を聞いて不安になったということ。講師が来て、二時間にわたりたくさんの性にまつわる話をしてくれたという。その中で、性同一性障害の話があった。LGBTQという言葉を聞いたり、そういった関連のニュースを見たりする現代のうちの子は、混乱したらしい。


 この話は大人のわたしでも正確に理解するのに時間が掛かっている。みんなちがってみんないい、とは別の、ちゃんと知識を得てから語らないと間違った認識や差別につながってしまうことだから。子どもはあれこれ困惑していた。つまり、理解できていなくて、自分がそうなのかもしれない、という不安を抱えていた。


 布団から出て、こたつの机の上にプリントの裏紙を広げた。まず、棒人間を四人書いた。それを使って、LGの話をしてみる。好きになる相手が自分と同じ性別のひとで、それはおかしいことではないこと。そのあと、Bは男女の性別両方を好きになれるひとで、これもおかしくないこと。


 Tを詳細に語るにはまだ難しさを感じるわたしは(勉強不足)、その中の性同一性障害の話をした。心(性自認)とからだの性別が違うこと。その心とからだを合わせるための治療法があることや、実際にからだを性別に合わせるための手術が受けられる世の中になってきていることを伝える。"障害" という言葉の大きさと、例えばクラスの⚪人に一人はいる、といった表現を聞いたそうで、うちの子は自分はどうなんだろうと急に不安になったようだ。


 子どもの頭には、クエスチョンマークがまだ浮かんでいるのが何となく伝わる。それはおいおいで、わたしも学ばなければ語れない。わたしがざっくりと子どもに伝えたことは、ざっくりでしかない。間違っていたらまた伝え直していく。うちの子にはまだおそらく早いが、「リリーのすべて」という映画は知ることへの手助けをしてくれる作品だった(脱線)。


 あとは、テレビで子どもにも馴染みのある、女装という表現。それはだからといって、その人の心の性別や性愛の方向を表すものとは限らないと思うこと。あとは、わたしにも分からないことがあるということ。


 うちの子は最近、源氏物語を読んでいたのを思い出した。


紫式部って女性だけどさ、源氏物語を書いたじゃん。源氏は男だし、あちこちで女の人を好きになるよね。それを書けたのは、女性でも、男の人のそういう気持ちが想像できるってことだよね、それは変じゃないよねぇ」


 そのあと、わたしの中にも、おじいさんやおばあさんやおじさんやおばさんや子どもや猫までいるよ、と話したら笑ってくれた。ちょっと横道にそれた気もするが、想像力をうまく使えば、知ることへの手掛かりになると思う。


 まだ疑問は尽きないだろうけど、ごちゃごちゃがほんの少し整理されて安心したようだった。そのくらいの安心で申し訳ない、とも思う。なぜか、サンボマスターの歌が頭に流れる。世界じゃ親はどう話してんの? と思いながら、布団に倒れた。




追記……最近、ロバート・キャンベルさんのTwitterをよく覗いていて、そこで出会った動画がとても素晴らしかった (2021年紹介されていた動画が削除されていたので、以下より。2015年イギリスの警察署が作ったという「性的同意」についてのアニメーション動画)。

https://youtu.be/pZwvrxVavnQ

 

 小さな子どもにも分かりやすい。うちの子には今回、性的マイノリティが差別を受けてきた面をあえて伝えなかったのだけど、それはまず素直に「もしきみや身近なひとがどれかにあてはまっても大丈夫」とわたしが伝えたかった。これから成長によって生じた疑問に応じるなかで、伝えていきたいと思う。性教育って、この動画みたいに「相手の嫌がることをしない」ということから始められたらいいなと改めて思った。☕(2020/1/13)