たぶん、京都へ行く

 修学旅行に特別な良い思い出はたいしてないが、行けなかったら、と思うと、とたんに悔しく思うのはなぜだろうか。
 学生という不自由さの中で、どうにか自由を作ろうと計画する楽しさはあった。学校で行くからと見学できる場所もあった気がするし、タクシーを一台、生徒だけで貸し切ってその土地を巡るのは、ちょっと大人びた気持ちを味わえた体験だと思う。

 こんなことを思うのは、修学旅行の準備を進めている、というクラスや学年便りを読み、複雑な気持ちになったからだ。うちの子は参加しない、というより、今の回復段階では参加できないだろう。学校からの便りには、時々こうしたボディーブローが含まれている。子どもはそれを読み、何も言わないけれど、何も感じていないわけではないと思う。そのフォローは家庭に任されているが、親も同様にジャブ程度のダメージを負い、片腹を押さえながら対応しているのだ。少数派にもちょっとは配慮してくれ、と思う。どうしようかなぁと逡巡し、親子で修学旅行へ行こうかと考えている。そうだ、京都へ行こう(キャッチコピーってすごい)。

 京都には、二度行ったことがあるけれど、どちらも十代だったので、行くとすれば二十年振りくらいになる。ものすごく変わっていたらどうしよう、と方向音痴の不安が頭をよぎる。しかし調べてみると、神社や仏閣は相変わらず、碁盤の目のような街の、同じ場所に佇んでいて、わたしを安心させた。今は時間もあるし、お金もまだなんとかなるし、ワクチン接種が親子とも済んだら、タイミング的にもちょうどいい。

 悔しいとか悲しいことがあったら、楽しいを重ねられるように過ごしていきたい。そうでないと、きっと親子ともに苦しくなってしまう。わたしがあまり自覚せず我慢していた憤りが、元気の出てきた子どもの何気ない思春期の反抗にぶつかって、イライラが爆発してしまうときもあった。逃げても断ち切れない学校というものや、通り過ぎるのを待つしかない反抗期の台風のようなものが現れたとき、気持ちを切り替えるには、物理的に場所を変えるのが有効なのかもしれない。

 どこかで自分が対応を間違えてしまったのだろうか。子どもの出すサインを受け止めきれなかったのは、わたしの器が小さいからか。そんな自分を無意識に責める気持ちがあることに気が付いても、そうではないよと言える自分が、自分のなかに見付からなかった。子どもの回復とともに、やっと、親としてこれでいいのかな、と思えるようになってきた。わたしも回復の途上にいるのだと思う。

 担任から数ヵ月振りに連絡があった。学校で使用しているクロムブックという学習用パソコンを、全校で持ち帰り、一斉に接続を試みるという。プリントをもらっていたので、知ってはいた。まだ学習への活用とまではいかないようだが、少しは山が動いたのだなと思った。不登校の子などは別日に実施すると、センターに問い合わせて聞いていた。クラスで出席を取ったりするのですが、もし参加したければできるので、○○さんに聞いてみてください、と担任は言った。子どもの最近の様子をたずねることもなく、直近のテストを頑張っていたことに触れることもなく、用件は終わった。この先生は何を伝えたくてわざわざ電話してきたのだろう、と思いながら、分かりましたと電話を切る。わたしは面喰らってしまった。

 春に教頭先生にお願いした、パソコンを通じての学習支援については、教育委員会の予算が下りないと難しいと聞いていたので、もうそれほど期待していない。学習意欲のある子に支援をしてもらえないかとお願いはしたが、それは教室に行けなくなったからであり、学校や教室に行けるくらいの、心の回復が第一だと考えて過ごしている。合う合わないや好き嫌い以前の、何を考えているのか分からない担任と、これからまだ一年以上付き合わないといけないのか、と思うと、わたしの心が濁った。先方にだって言い分はあるだろう。例えば、クラス担任を受け持ちながらは多忙過ぎてそこまで関われないとか、関わるのが怖いとか、何か少しでも本音を言ってくれた方がまだマシだ。後日、事務連絡なら担任ではなく支援学級の先生からにしてください、と学校に柔らかく伝えてもらえませんか、とセンターにお願いした。また地味なボディーブローを受けた気分だった。

 視線を外へ、遠くへ、意識して向けないといけない。秋は雲の変化が面白い。この田舎の良いところは、高い建物がなく、空が広く見渡せること。上空は風が強いのか、雲が数分で形を変えていくのを眺めながら、そうだ、京都に行こう、と改めて思うのだった。

終わり