朝ドラがもう終わりそうだな、秋

 朝ドラの主題歌がバンプ、というのにも随分と慣れた。主人公の名前(というかあだ名)に関係して、画家のモネの話が出てくるかと思ったけれど、印象派っぽい絵は出てきたが、終盤に向かうなか、この画家の話にはならなかった。モネが好きなので、少し残念ではある。

 ここを閉じて書くことをやめて、100日以上経った。書ける範囲での良い変化といえば、子どもが随分と元気を取り戻してきたこと、わたしがまたおばさんになったこと(甥っ子が生まれた)くらいか。

 あまり書けることは少ないが、ぽつぽつと短歌を書き留めたり、まったく創作への意欲がなくなっていた100日以上前のわたしより、元気に健康になってきていると思う。

 子どもは一年ぶりに、近所の行きつけの美容院で髪を切った。最近までは、器用に自分で切っていた。美容院のような “自分を身綺麗にする場所” へ行くのは、大人のわたしでも少しだけ緊張する。ちょっとおしゃれしたり、なりたい自分の髪形に合うような服を選ぶだけで、気疲れするときもあるからだ。そういう場所へ行けたことで、自信がついたような顔で帰って来た。通っている支援センターでは、定期テストも受け、学年の平均より上の点数だった教科もいくつかあった。自力で勉強をしている姿には、本当に感心してしまう。きっと自分の気持ちのよりどころに、勉強を見出したのだろうけれど、わたしには真似できない。その姿勢を応援してくれる先生も数人おり、そういった先生と出会えたことが、子どもの救いであり、親としても励まされる思いでいる。

 あとは、そろそろ仕事を決めたいけれど、こればかりは縁もあるので、面接に落ちては泣き、美味しいものを食べて寝て吹っ切って、わたしも子どもを見習い、粛々と行動するばかりだ。

 産まれた甥っ子には、クマだか猫だか分からない姿になってしまった、チャイム入りの人形を手作りした。まだ見えているのか分からない薄目で、太陽の光や窓から聞こえる鳥や自然の音に反応して、お爺さんが感心したような、ほぉー、というような表情をするので面白い。授乳の後のゲップをさせる担当を申し出て、こんな感じだったっけと肩に小さな頭を寄り掛からせ、背中をポンポンしていると、何とも言えない幸せな気持ちになる。こんなにも小さく無力な生き物が生まれた世界が、どうか美しくあってほしいと、やさしいものであってほしいと、そうではないと知っているからこそ、どこかに願いたくなってしまう。赤ん坊というのは、自分が産んだわけではなくても、腕に抱いていると、平和を愛好するような気持ちになるのかと、不思議な魔術にでも掛かった気分だった。

 昼に放送していた映画が『グッド・ウィル・ハンティング』で、何度も見たことがあるし、途中からなのに見入ってしまう。ぼーっと見ていたら、終盤、主人公のウィル(マット・デイモン)のカウンセリングの場面になり、ロビン・ウィリアムズが何度も「It's not your fault.」と語りかけるシーン。いまの自分の心に刺さりまくって、久しぶりに号泣してしまった…。ロビン・ウィリアムズにもう旧作でしか会えない寂しさはあるけれど、こうして映画で会えるのはうれしいものだなと思う。

 徒然に近況を書きましたが、まぁそれなりにしぶとく生きているなと思いますので、時には「It's not my fault.」と心で思いながら、いまの自分をどうにか愛してあげたいものですね。それが難しいときは、さっさと寝るに限ります()。ではまた。

 

おわり

 

追記…読んだ本。読書好きの子どもが図書館で借りてきた「かがみの弧城」(著/辻村深月)、とても面白かった。小学生くらいから大人まで幅広く読める本だと思う。ミステリーであり、ファンタジー的エンタメ要素もありすごい。不登校の子どもの心理描写が繊細。逆にその親の気持ちを描かないところが不満ではあったが、物語的にはそれで良かった。あと、今更だが「センセイの鞄」(著/川上弘美)、これまたとても良かった。良過ぎて読み終えたら、しばらく呆然としていた。恋愛小説だと思っていたけれど、そういうカテゴライズを軽々越えていた。文章を読むってこれ、って感じを思い出させてくれる本だった。