ボルダリングの壁みたいな

今週のお題「叫びたい!」…ちょうどそんな出来事があったので乗っかってみる。



 東京オリンピックで個人的に一番面白かった競技は、ボルダリングだった。「あの壁を登るやつでしょ」程度の認識しかなかったが、実際のプロが挑む壁を見て驚き、その難壁を登るために掴む指や、バネのような身体の筋肉やしなやかさを見ていると、自然に応援する気持ちが湧いた。どこを掴むんだ、と素人には皆目見当がつかない壁の、ルートを読み取り、チャレンジしては落ち、また登っていく逞しさに、美しい競技だなと思った。

 さて、お題である「叫びたい!」と思った瞬間は、子どもが持ち帰ってきた通知表を開いたときだ。各教科の評価欄がすべてアスタリスク(*) だった。事前に学校から何も聞いておらず、そういう表記が通知表にあることを初めて知ったので、意味
が分からなかった。
「????????????????…!」
 心の中で疑問符を叫んだ。
 各教科担任からのコメント欄には、自己学習への取り組みやテスト結果を褒めてくれるものもあったが、評価はいずれも記号。モヤモヤとした疑問だけが残り、支援センターの先生に相談した。
 説明のない通知表の有りように驚いたこと。子どもの自己学習やテスト結果を評価するコメントはあるのに、そのやる気を応援するというより、否定されたようでがっかりしたこと。この記号の意味は何なのか分からないこと。親として、子どもに聞かれても答えられないこと。
 先生はわたしの話を聞いて下さり、学校へ問い合わせてくれた。担任などにも話を聞いたという。つまりは、通知表の評価というのは、学校で他の子どもと同じように授業を受けていないと公平な評価が付けられない、仮に評価を1やCなどと付けるよりは記号にしておいた方が進学にも有利、ということらしい…。とりあえず、事前に説明しといてくれと思った。
 担任などが説明不足だったことを反省しており、改めて説明させてほしいと言っている、と聞いたとき、わたしは改めて聞く必要性を感じなかったので断った。それから、この通知表に対して家庭からは何もコメントがないので、学校にこのまま返してもらえませんか、とお願いした。強気な行動に思えるかもしれないが、これ以上、親子ともに消耗したりやる気を削がれないための、自己防衛の一種でしかない。
 学校であった出来事から、学校へ行けなくなったのだが、その学校へ行けないと評価が付けられないという。なにその理不尽なプレッシャー、と思う。
 少し調べていくと、文部科学省から不登校支援について発表されているものがあった。(以下、興味のある方はご参照ください)
www.mext.go.jp

 その中から、以下一部を引用する。
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6.不登校児童生徒の学習状況の把握と学習の評価の工夫
不登校児童生徒が教育支援センターや民間施設等の学校外の施設において指導を受けている場合には,当該児童生徒が在籍する学校がその学習の状況等について把握することは,学習支援や進路指導を行う上で重要であること。学校が把握した当該学習の計画や内容がその学校の教育課程に照らし適切と判断される場合には,当該学習の評価を適切に行い指導要録に記入したり,また,評価の結果を通知表その他の方法により,児童生徒や保護者,当該施設に積極的に伝えたりすることは,児童生徒の学習意欲に応え,自立を支援する上で意義が大きいこと。
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 これについても、センターの先生に尋ねてみた。こういった判断は各学校に委ねられており、この文書自体に強制力はなく、例えば一校で評価を付ける取り組みを行っても、それが高校受験などに関わってくるとなれば、県などの単位で評価基準を設けて実施されなければ、統一性がなくなり、判断できない成績となるだろうということを、おそらく、と言いながらも話してくれた。そこまで聞けば、仕方ないかと諦めもつけられる。そして、こうして親の疑問を聞き、話をしてくれる先生がいることに有難みを感じた。子どもの頑張りを当初から見てきて認めてくれている、それが学校とは結び付かないところに先生もどうにかならないものかと疑問を持ってくれていることが分かった。

 ここでボルダリングのことを思い出した。学校は、オリンピック選手が挑むボルダリングの壁みたいだ。わたしには、どこに手を伸ばしたらいいのか、分からない。クラスから届くプリントには、クラスメイトの集合写真が載っており、そこにうちの子はいない。学校の支援学級の先生は、センターでの様子を定期的に見に来てくれるが、担任からは問い合わせもないと聞いた。先生というのは、困難な壁にぶつかった生徒に、ここを掴んで登ってくればいいよ、とアドバイスをしたり、手を差し伸べてくれるものではなかったのか。
「勉強を自主的に頑張っていても、テストで結果が出ても、学校に来なければ評価がつかない、というのなら、学校からここに手を伸ばせばいいよ、というような…もう少し子どもへの関心を持ってもらいたいです」
 あの瞬間の疑問符が、言葉になった。
 今は、この場所を大切に過ごしていくのが、わたしたちが掴める手掛かりであることを再認識する。学校で評価が付かなくても、わたしは自分の子どもがとても自慢です、と叫びたい。この行き場のない気持ちを、ここに記しておく。今秋初の豚汁を作った日に。

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