ピント合わせ

 夕方、仕事終わりに運転するとき。視界が少しぼやけるなぁと思っていた。わたしはだて眼鏡しか持ってなく、視力検査でも引っかかったことは無かったので、これがかの有名な老眼かな、とか呑気に思っていたのだ。

 眼鏡屋の前を通り掛かり、サングラスが欲しいなと眺めていた。サングラスコーナーで、子どもに次々と掛けた顔を見せながら、唯一「タモリみたい」と言われなかったやつを選んだ(敬称略)。どんな判断基準かと思われそうだが、田舎でタモリさんくらい色の濃いサングラスを掛けていると、目立つ。海のない、山に囲まれたこの地には、主張が強すぎるのだ。

 花粉症もあるし買っちゃおう、と決めた。レジに持って行くと、そこから視力検査をするという。店員の男性がしてくれたのだが、これが普段の視力検査より念入りだったので驚いた。スライドが切り替わり、どちらが見えやすいかなど何度も確認される。こちらも真剣に答えると、最後に店員が言った。

「近視と乱視があるようですね」

 いや老眼では、と思いながら、初めて、軽い度の入った眼鏡を掛けてみると、視界がくっきりと輪郭を持つ。

「え、あぁ~見やすいですね」

 近視と乱視じゃないか。結局、普段の運転は度入りの眼鏡で、眩しいときはサングラスレンズを付けられるものを買った。

 こんなことを言ったらまずいかなと自覚しながら書くけれど、わたしは目が少し悪くなりたかった。よく見えることが辛いときがあった。見えることは便利だけど、見えなくていいものや、見たくないものまで見えてしまうこともある。少し目の悪い、わたしの耳に囁いてくれる、声の良いひとが居ればいいなと思う(脱線)。

 しかし現実は、運転しないと生活が厳しい土地なので、少し(運転の)腕の悪いわたしのために、Googleナビが呟いて案内してくれる。ときどき曲がり角を間違えるため、焦って独り言が増えるけれど、ナビは冷静にルートを再検索しているので、ちょっとイラッとする。運転中に夢を見ている場合ではない。

 度入りの眼鏡はとても便利だ。疲れて目がボンヤリするとき、とりあえず視界をくっきりさせてくれる。こんな風に、必要なときにピントを合わせていけば良いのかもしれない、と漠然としたことを思う。

*****

 この間、アパートのガス会社が変わるため、点検に来てくれた若いひとがいた。お互いにマスクをして部屋を換気しながら、こんな時期に大変だなと帰り際にリポビタンDを渡した。数時間後、知らない番号から電話が鳴る。普段はそういうものには出ないのだが、出てみるとリポビタンDのひとだった。

「先ほどはありがとうございました。お客様の口座引き落としの書類ですが、銀行の支店名に記入が無くてですね……」

 口頭で支店名を告げながら、これは近視も乱視も関係ないなと、ちょっと格好つけた自分を恥ずかしく思った。

画像1