ドラマ「恋せぬふたり」への安心感

 今季のドラマで一番楽しく観ているのがNHKでやっている「恋せぬふたり」。子どもと一緒に観ながら、笑ったりツッコんだりして、こうやって様々な人との繋がりの形について話せる、とても他人事ではない内容だ。


 恋愛というものを語るのに、経験値を上げる必要性を感じないので(恋愛というものの形は「こう」と定義できないから)、自分の最近思うことをつらつらと書いておく。一人称単数で始まる「好き」という思いが、三人称複数へと広がっていくことに、わたしはもう疲れてしまうなと、このドラマを観ていて気が付いた。一人(自分)と一人(相手)でそういった感情が完結できればそれだけでよくて、それが家族や他人に何か影響が及んだり、及ばされたりすることは望まない。


 このドラマを観ていて安心感があるのは、ドラマの主人公二人は恋愛しないことが分かっているからかもしれない。高橋一生演じる高橋さんが、恋愛や接触は苦手な自分を受け入れたまま、それでも家族は居たらいい、という人恋しさみたいなものはよく理解できる。


 今の自分が誰かに「好き」という感情が湧いたとしても、それが相手の思う恋愛とイコールなのか、よく分からないままで見切り発車できるほど、子どもではなくなった。お互いに恋愛に求めるものがあるはずで、その譲れない部分をリストアップして見比べたとして、それが大きくずれていたとすれば、「好き」という気持ちだけで前に進めるだろうか。わたしは苦しくても、恋愛へ向かう道へのブレーキは踏み続けると思う。そういった人間的好意を、恋愛とは違う関係性の中で発展させていけたら、また可能性は広がるんだろうな。


 そういうことを考えさせてくれる、面白いドラマであることをここに感想として残しておく。高橋一生、主演の岸井ゆきの、元カレのカズ君を演じる役者さんがとても良い。まだ終わらないので、どういう着地点に彼らが降り立つのか、とても楽しみにしている。